叶えた夢:アヒルと住む【生まれてからの話】

自分が生まれたことに気が付いていない一番目は、

私たち夫婦(実際には、私の父59歳)に【ワンピ】と名付けられた。

ナンバーワンの【ワン】と、ピー玉の【ピー】で、ワンピだ。

 

ワンピが生まれたことに気が付いたのは、

卵のうがすべて体内に吸収しきった

翌日の朝だった。

 

朝、起きると、元気にピーピー、休まずに鳴いているのである。

寝返りをほとんどしていたなかったから、

片方の顔とおしりだけ、乾燥してちょっとかわいくないけど、

心底ほっとした。よかった、死ななくて。

 

一日目の事だから、よく覚えている。

段ボールから出してやると、

フローリングに足を取られながらも、

歩こうとするぐらい元気だった。

 

100均で買ったゴマすりに米を入れて砕く主人。

あぐらをかいている主人のすねをよじ登り、

落ち着いた所は、下半身で一番暖かくて柔らかくてところ(笑)

どうして知っているのか、そこめがけて登ってきたのだ。

 

 

主人は出社し、私とワンピの日中二人暮らしが幕を開けた。

それはそれは、癒される日々だった。

 

 

床に置いて、そばを離れてみる。

すると、短いながらも首を伸ばして、

必死に私を探そうと鳴きながらうろうろし始めるワンピ。

私を見つけると、とたとたと、時たまこてんと転びながら、

こっちに向かってきて、

足の土踏まずのあたりで、安心し座る。

 

狭い部屋だけど、

部屋の中をこんな風に鬼ごっこして遊んだ後は、

水を飲ませる。

教えてないのに、

一日目でもう水の飲み方を知っていた。

本能だな。

 

 

次に、机の上にのっけてみる。

コップをツンツン、

本をツンツン、

私のうでのほくろをツンツン。。。

 

全て初めて見るものなのだろうな。

「赤ちゃんがなんでも口に入れたがるしぐさと一緒だろうか」

なんて思いながら、

眺めると、にやけてしまう。

 

私は、机と自分をくっつけて、

腕にワンピを抱き、本を読んだ。

ワンピはあったかいのか、そこですーすー眠っていた。

そうだよね、今までずっと卵の中で寝てたんだからね。

アヒルのまぶたは、人間と違って

下まぶたが動いて閉じるようになっている。

 

温められると、

まずまぶたがとろーんと、下がってく…じゃなくて、上がってくる。

そして、だんだんと首が落ちていき、

ある程度のところでストップしスーピースーピーし始める。

 

しかし、10秒もしたら、

ぶるっと身震いして起きる。

そして、

また眠る、

起きる、

眠る。。。の繰り返し。

 

 

小さい動物は寿命が短い。

きっとこの子の10秒の昼寝は、

人間のあかちゃんの1時間くらいなのかもしれない。

私は本よりも何よりも、この子の寝顔と素顔を見ていた。

 

 

・・・どのくらいたっただろうか。

アヒルは水鳥だから、

家にあるたらいで泳がせてみようと思った。

直径60センチく、高さ15センチくらいの

ちょっとした手洗い用のたらいである。

それに、足が付くかつかないかぐらいのぬるいお湯を入れる。

私「ほれ。泳げるかい?」

 

私の心配をよそに、ワンピは水を得た魚・・・じゃなくて、アヒルだ!

「ここは私のよ!」

と言わんばかりに、ぱちゃぱちゃ泳いでいた。

だれに教わるのでもなく、これが本能というものだろう。

最初の水浴びは短時間で済ませた。

ワンピをあげてみると、

なにやらたらいに黒いものがひらひらしている。

・・・ぬるま湯は気持ちよかったみたいだな(笑)

 

 

 

その後、体をふいてやり、

兄弟たちが眠る段ボールのライトの下に戻してやった。

温かいのか、そこでもうとうと。

 

 

こんな風に、アヒルとの生活は、アヒル中心になり、

主人が出社してから、洗濯も、皿洗いも後回しになるのだった。

 

 

 

二日後、2番目が生まれた。

前回の教訓をもとに、アヒルのペースに合わせた。

生まれてすぐ、歩こうとするぐらい元気なのだ。

なぜなら、卵のうもすべて吸収されているし、卵に血管も残っていないから、

一人で生きていけるよう完全体で生まれていた。

 

ワンピ一人っ子期間、2日間

ワンピに弟ができたのが、三日目

ワンピに末っ子もできたのが、4日目だった。

 

二番目の名前は【ふさこ】という、いかにも日本人の名前だ。

生まれた時からふさふさしていたのだ。

 

三番目の名前は【チャーヨー】という。

ベトナム語南部発音で「揚げ春巻き」だ。

 

二番目は私、三番目は主人が付けた。

どうしてチャーヨーなの?と聞くと、

「チャーヨー(揚げ春巻き)すきだから」とな。

好きな食べ物の名前を付けられた3番目なので、

それはそれは主人にかわいがられていた。

 

帰宅したら、

まっさきに「チャーヨー!!」なのだ。

ワンピもふさこも差し置いて、

チャーヨーLOVEがさく裂していた。

 

 

チャーヨーは、末っ子だから、

寝る時も、歩く時も、寄り添い合う時も、

いつも真ん中にいた。

そのうえ、少しでも兄貴姉貴(性別はわからなかったけど・・・」)が見えないと、

人一倍大きい声でピーピー鳴くのだった。

 

 

ふさこは、二番目だからか、終始マイペースだった。

生まれてからすぐに立とうと必死だったし、独立的思考が強かった。

 

 

一番目のワンピは、私たちに見守られていた期間が長かったし、

2日間だけだけど、ひとりっこの期間があり私も溺愛してたので、

よく私と目があった。

本当にこちらを見つめてくるのだ。

私はワンピが一番かわいかった。みんなかわいいけどね。

 

こうして、私たちは5人家族になった。

生まれてから、主人の友人に引き取られるまでの約20日、

ずいぶんと楽しく過ごさせてもらったのも、彼らのおかげだ。

 

 

3人の成長を分けると、

1週目「一番かわいい期間」

2週目「昆虫を食べ始めてうんちも黒くなってくる期間」

3週目前期「鳥に近づいていく期間、うんちが白くなってくる期間」

3週目後期「もう…鳥、うんち製造マシーン!!!」

といったところだろうか。

 

1週目は、私も外の世界よりも、家で彼らと過ごす時間が長かった。

ある日、部屋を散歩させ、私も寝そべってみた。

すると、顔のほうにみんな集まってくる。

眼鏡をコツコツ、ほくろをコツコツ。

私は顔にいっぱいほくろがあるから、

コツコツが怖かったけど憎めない。

 

掌で嫌がる三匹をかき集めて、優しく包んでみる。

すると、一匹ずつスーピースーピー夢の世界へ。。。

と、一匹がびくっとして、みんなも起きるんだけどね。

 

でも、生まれてから4,5日もすると

長めに寝られれうようになって、

私も寝そべりながら彼らを包んだ手を頬に引き寄せて、

3匹のぬくもりを感じながら一緒に眠ったことは、忘れられない。

本当に温和な、ピースフルな時間だった。

 

他にもまだまだ思い出がある。

私の気持ちをほっと優しく、

顔を笑顔にさせてくれるエピソードだ。

 

 

もちろん、鳥はトイレトレーニングができないから、

小屋の新聞紙を変えても変えてもすぐに汚れる。

けど、仕方ない。

 

成長するにつれて、食の嗜好も変わってきた。

最初は、米を砕いたもの、

2日目からは、鳥用の餌フレーク、

5日目あたりに、幼虫を与えてみた。

鳥類ショップで、洗剤スプーン一杯2000ドンで売られているものだ。

 

最初は、主人の役目だった。

床に誤って落ちる度、

私がのどを抑えられたような声を出していたものだ。

今はもう慣れたけど。。。

 

アヒルたちも新鮮な方が好きなのだ。

すごい勢いで、つつきまくって

幼虫を片っ端から食べていく。

幼虫の気持ちにもなった。

「来世はもっといい生き物に生まれ変わるんだよ」と思いながら。

 

 

いつだったか、大量に幼虫を買いすぎて、腐らせてしまったことがある。

それを、新鮮なものと混ぜてやってみたが、虫も新鮮な方が好きなのだ。

腐った虫=乾燥して動かなくなった虫は食べなった。

 

 

さらに、もう立派なアヒルになった3週目には

二回り大きい幼虫を買って与えてみた。

食べると水分たっぷりなのが伝わってくるような音を立てて食べるのだ。

価格は、さっきと同じスプーンで5000ドンだ。

それに、以前の小さい幼虫を入れても、

小さいのを食べようとするのは、

一番小さいチャーヨーくらいだった。

「このサイズじゃ満足できねぇぜ。」とでも言ってるかのように、

ワンピは私を見つめるのであった。

 

食の嗜好も変化するのは当然、

体もでかくなっているのだ。

生まれる前卵の重さをはかってみたら、

58グラムくらいだった。

生まれたばかり、掌にちょこんと乗れるサイズ。

3匹を柔らかく包み込めたサイズ

 

しかし、最終週はおそらく一匹200グラム超、

もう3匹を両手でがしっと掴まないと逃げられるサイズ。

大変だった。

 

 

一番顕著だった成長部分が、首だ。

首が伸びて伸びて、最初は高させいぜい10cmくらいが、

最終週は、30センチくらいまででかくなった。

 

段ボールの小屋にいられたのは、幼少期の外出時と寝る時。

後半は、段ボールの囲いに入れっぱなし。

 

そこから出すと、うんちマシーンとして部屋を汚しまくるので、

そこ、もしくはたらいの中だった。

 

後半は、やはりペットとして3匹を買う難しさに直面した。

幸い、主人の友人がホーチミン市の郊外に住んでいて、

アヒルを飼ったこともあるらしい。だから、引き取ってくれることになった。

 

 

それは、=ちょうどいい大きさになったら食用になるという事だ。

 

 

ちょっと複雑で、私たち自身も

「かわいい時だけかわいがって、そのあとポイかい」

って言われること、否めない。

 

 

しかし、こう考えている。

 

「もともと市場でゆでたまごとして食べられる運命だった3匹。

その3匹に20日間ありったけの愛を注ぎ、お世話をした。

彼らは、泳ぐこと、幼虫を食べること、いろんな経験ができたのだ。

そして、20日間私たちの手のぬくもりを確実に感じ取っていた。

ぬくもりの中で眠る幸せを何度か感じることができたのだ。

 

 

それだけではなく、彼らは私たちの生活に癒しや喜びを与えてくれた。

だから、運命は決まっているけど、きっと一緒にいた時間は、

お互いにとって無駄じゃない。

 

食べられる運命は変わらないけど、それまでの過程にすこしでも

幸せを感じてくれたらうれしい」と。

 

友達の家に引き取ってもらい、また夫婦二人の生活に戻った。

その日は、静かすぎてよく眠れなかった。

 

次の日も、何度も小屋があったあたりを自然とみてしまう。

開いている時間に3匹の写真を何度も見返す。

寂しいなーと思いながら。

 

次の日、だんだんと次にやることが出てきて、

感傷に浸る時間も少なくなった。

そして、振り返ることより、

今やること、将来の事に時間を費やすことが多くなった。

 

たまに思う。

「あれ、家でアヒル飼ってたのはゆめじゃなかったっけか」

でも、ケータイにはたくさんの思い出が残っている。

 

またいつか、アヒルを飼うことがあるだろうか。

主人は言う。「またいつでも育てられるよ。」

かわいい間は本当に一瞬。そのあとは、うんち製造マシーン。

これを忘れずに、次の機会にまた考え直したい。